弘中 勝 氏の「発想源」より
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【第1828回】制限は当然
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サッカーは、
ゴールキーパー以外の選手が手を使うと
ハンドという反則を取られてしまいます。
でも、サッカー選手の中で、
「ちくしょう、手さえ使えればもっと勝てるのに」
「あーあ、手でボールが持てたらなあ…」
と言っている選手は、ほとんどいないと思います。
サッカーは、手を使えないから面白いスポーツなのです。
「手を使えないのに、足さばきであんなことができるなんて!」
というのが、サッカーの技術のすごさです。
ラグビーは、
サッカーと違って、ボールを手に持つことができます。
でも、前に投げるとスローフォワードという反則を取られます。
だから、前にいる人にパスを出せないので、
手にボールを持ったまま自分で走ったり、
後ろにいる選手にパスを回したりしながら前進していきます。
さらに、ラグビーボールはサッカーボールと違って、
楕円形をしているからバウンドの軌道が読めません。
だからと言って、ラグビー選手の中で、
「前にパスさえ出すことができるなら、もっと俺たちは強いんだ」
「監督ー。あのボールの形、何とかならないですか」
などと言っている選手は、ほとんどいないと思います。
ラグビーは、前にパスを出せないのが面白い、
ボールが楕円形をしているから面白みが増すスポーツなのです。
そういう制限の中でこそ、プレーが輝くのです。
スポーツはどれも、
ルールにそういった「制限」があります。
ボクシングで、ボクサーが
「もっとリングが広かったらなあ」などと言っても、
どうにもなりません。
柔道で、柔道選手が、
「短パンでやらせてくれたら動きやすいのに」と言っても、
どうにもなりません。
野球で、野球選手が
「納得がいかないので、15回裏までやりたい」と言っても、
どうにもなりません。
走り高跳びで、選手が
「脚立を使わせてもらえたらいいんだけどなあ」と言っても、
どうにもなりません。
そういうルールの制限は、もうどうしようもないのです。
その制限の中でいかに最大のパフォーマンスを見せるか、
ということを考えて練習を積むのが、
スポーツ選手の仕事です。
ビジネスにおいても、いろいろな制限があります。
例えば、
「これだけの予算内でやってくれ」
「これだけの期限だけでやってくれ」
「これだけの人員でやってくれ」
という制限が、どうしても出てきます。
こういう時に、
「もっと予算があったらなあ」
「もっと期限が長かったらいいのに」
「どうしてもっと人員が増えないかなあ」
と、ぐだぐだと文句ばかり言う人間がいるのですが、
そういう制限の中でいかに最大のパフォーマンスを見せるか、
というのを考えて実行するのが「仕事」です。
「でも他社は、もっとやりやすいようにしてくれてますよ」
「あの会社は、もっと人員を増やしてますよ」
と、他社を例に挙げてぐだぐだと文句を言うのは、
サッカー選手が、
「でも隣りのハンドボール部は、手をやって使ってますよ」
「ラグビー部なんて、1チームに15人もいるんですよ」
と文句を言っているようなもので、
その文句には何の価値もないのです。
手を使わないと不便なのでなんとかしろとゴリ押しして
「じゃあおまえは手を使っていいよ」と言われたサッカー選手は、
一流の仕事をしたと言えるでしょうか。
サッカー選手の仕事は、
文句を言ってルールの制限を変えさせることではなく、
ルールの制限の中で最高のパフォーマンスを見せることです。
同じように、社会人の仕事は、
文句を言って制限や待遇を変えさせることではなく、
その制限の中で最高のパフォーマンスを見せることです。
それが、社会人の発想力であり、企画力であり、実行力です。
制限なんて、あって当たり前。
そういう意識を持たないと、良い仕事はできるはずがないのです。
制限こそが自分の能力の見せ所を作ってくれるのです。
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そうなんですよね。
現実を見つめ、どうにも出来ないところは認め、
関われる範囲で、最高のパフォーマンスを表現してこそ、
企画力であると思います。
対人関係もそうです。
「この人が権限を持ってて、いつも邪魔します。」とか
「こんなにいっても、たぶんやらないでしょう。」とか
言う人がいますけど、それは、現実を正面から見てない証拠です。
だから、なんなのでしょう・・・それはそれ、ほかの方法が考えられない
のが、発想の貧困であると言えるのです。
ともすれば完全主義に陥り、「こうであれば良いのに・・・・」というひとは、
たぶん「そうであっても、出来ない」人なのかもしれない。
「そうであっても、やるべきことをやって、次のチャンスをうかがう。」柔軟性が
必要と思います。
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