アルピニスト 野口 健 さんの言葉に 飲食ビジネスのエッセンスをみる
7大陸最高峰登頂最年少達成(当時)や、エベレスト清掃登山などで有名な野口さんの話がTVで放映されていました。
野口さんのことは、TVでも見かけるのですが、詳しくは知りませんでした。
清掃登山のことはTVで取り上げられ、知ってはいますけれど、アルピニストとしての輝かしい功績や生い立ちなども、あまり知らなかったんです。
彼は、25歳のときエベレスト登頂をもって最年少記録を打ち立てていますが、その直前に2回7大陸最高峰最後の難関のエベレスト登頂を失敗しています。
1回目は、マスコミにあおられて、「7大陸最高峰最年少登頂記録なるか!」と。
天候不順と、体調がすぐれない中、チャンスをうかがいますが自然が立ちはだかります。
悪天候の中、先に韓国隊、ロシア隊が山頂アタックをかけます。
やがて、連絡が入ります。
ロシア隊3人全員死亡、韓国隊4人中1人死亡、あと単独でアタックしたドイツ人1人死亡。
みな、下山中の事故です。
ずっと天候が安定せず、どんどん、アタックのタイミングが遅れていきます。
それでも、アタックをかけましたが、酸素不足と体調不良で野口さんは断念します。
帰国後、失敗の記者会見。
容赦ない記者の質問や、がんばれと言ってくれていた人が、サーッと引いていく冷たさ。
命の淵にたった恐怖もあり断念しかけましたが、気を取り直し再トライを決意します。
翌年の2回目は、体調もよく、ほぼ順調に行きました。
やがて、アタックをし、あと山頂まで300Mまで迫ります。
そこで、天候が急変します。
一旦中断し、数時間も天候が落ち着くのを待ちますが、なかなか良くならない。
その中で、野口さんのパートナーは登頂を決意。
野口さんは下りる苦汁の決断。
パートナーの方は100M登ったところで、強風にゴーグルを飛ばされ、紫外線で目をやられ、手足が凍傷にかかり、結局遭難。
命は救われたものの、手の指が壊死し、10本中7本を失い、目もダメージを受ける。
もう登山ができない体に。
野口さんいわく、
「撤退して成功だった・・・・。のこり300Mで撤退する勇気があったことで、自信になったと」
そして、彼が言うには、人生で51%の成功があればいい。
そうであれば、49%失敗ができる・・・。
だから、チャレンジすること・・・そして、何を言われようが、次の成功のために、勇気ある撤退をしなくてはならないのです。
飲食店やビジネスにも言えることかもしれません。
どんなにがんばっても、成功は命があってのこと。
命を捨てるまでもなく、勇気ある撤退こそ、チャンスの確率を高めるということ。
世の流れが変わり、ビジネスが成り立たなくなった立地や業態も、しがみつきすぎず、手を尽くしたうえでではありますけれど、勇気ある撤退も大事なのではないかと。
私も、飲食店を経営して、失敗しました。
数百万円ドブに捨てました。
わずか6ヶ月でです。
たいしたお金ではないと思う方もおられますが、私にとってはほぼ全財産です。
共同経営で、ほかの人との調和を尊重し、知り合いの薦める物件で開業しました。
多少の疑念があった物件ですが、喧嘩してまで止める気もないし、会社も辞めてたから早く始めたかった。
甘かったです。
今考えてみると。
人間関係を調和良くやったとして、それで失敗しても、誰も救ってはくれない。
失敗した人に、人は冷たいもの。
だけど、ビジネスにあきらめは禁物。
今は、失敗を成功の反面教師にして、それをほかの人に役立てていただきたい一心で、仕事をやってます。
とは言うものの、私も飲食業に戻りたいと思ってます。
まずはワッフルのビジネスを立ち上げました。
仮設店舗営業から始めましたが、少しずつ良い展開も見えてきました。
野口さんのように、勇気ある撤退だったと思えるように、ネバーギブアップです。
最後に、野口さんの言葉より、
「韓国隊や中国隊、ロシア隊は国を背負っているので、無理なアタックを駆けて命を失うケースが多い。かつての日本隊がそうだったように。」
野口さんが尊敬し、登山に傾注させた冒険家 植村直己さんが、常に言っていた言葉が、「冒険とは、生きて帰ってくること」だそうです。
しかし、マッキンリーで遭難した植村直己さんの手記に最後に残っていた言葉が、
「『何がなんでもマッキンリーに登るぞ。』で終わっている」と。
「何が何でもとは、『いかなる状況下においても決行せよ』ということであって、そんなことは植村さんなら自然が相手にそんなことすべきではないとわかっていること。」
と・・・・・。
皆さんも、決して状況を都合の良いように判断なされないよう、勇気ある撤退は、成功の一歩です。
そしてネバーギブアップです。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)




